2022年度版学校案内
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 私は、子供の頃から海が大好きでした。 中学生の時に船乗りという仕事があることを知り、海の上で大きな船を動かしながら生活するという仕事にロマンを感じ、「いつか私も船乗りになる!」と決めていました。 船乗りになるために入学した国立清水海上技術短期大学校では、日々の実習で座学の定着を図ることができました。特に2年次に参加した全9か月の大型練習船での実習は一番の思い出です。友人と寝食を共にし、辛い時には励ましあいました。船から見た大海原の風景は一生忘れません! また、練習船での実習や、寮での生活を通じ、集団生活を体験します。ここで一緒に困難を乗り越えた友人は、就職後も互いに助け合える仲間です。 現在は、三等航海士として貨物船に乗船し、海上での操船や、港での機械操作を担当しています。自然が相手なので大変です。しかし、美しい朝焼けや、満天の星空と出会えることは、この仕事ならではの楽しみです。 私はRORO船の船長として、安全かつスケジュール通りに貨物を運ぶため、その時の状況に合わせて船を運航し、責任者としてすべての指揮を執っています。また、航行する海域には、瀬戸内海など潮流が早く難しい海域もあり、とてもやりがいのある仕事だと感じています。偶然、同級生が運航する船に出会い、無線でやり取りをしたり、お互いの航海の安全を祈るメッセージを送りあったり、船の仕事ならではの楽しみもあります。 在学中に印象に残っていることは、先生の「大きな船も小さな船も変わらない。雲を読み、風に聞いて、波に学ぶんだ」という言葉です。本当にその通りで、出航する時の海や風の状態、天気図などを参考に、その時に適した航海計画を立て、いつでも海の表情をより注意深く観察することが大切です。 今後の夢は、船を安全に運航するために更なる運航術を学び、日本沿岸の気象海象を理解し、航海時間の短縮や省エネルギー航海ができるようになることです。この仕事を目指す人に伝えたいことは、現場では技術的な勉強が沢山あるので、勉強に集中できる在学中に、上級資格の取得を目指し頑張ってください。 私は内航セメント船で甲板員として働いています。 私が船乗りを目指したきっかけは憧れからです。実家が東京の離島にあるため、離島での生活に必要なものはすべて船が運んできて、島から出るときも船を利用しています。幼い頃から船を身近に感じる生活をしており、船を動かし港に着岸し、仕事が終われば次の港に行き仕事をする船員さんに憧れてこの道を選びました。 いざ働き始めて思うことは、すごくやりがいがある仕事だということです。自然と船が相手なので同じ港に行っても、同じ航路を通っても、毎回同じようにはいかないからです。そこを上司の方に教えてもらったり、自分で考えて行動することで何事もなく安全に運航できたときは、すごい達成感を感じています。 これから船員を目指している人たちへ、仲間との横の繋がりを広げて大切にしてください。自分がつまずいたときや壁にぶつかったときに、相談ができる人がいれば気が楽になり、また頑張ろうという気持ちが湧き上がってきます。 今から仲間を大切にして、何でも相談できる人を見つけておいてください。 実家が海の近くで、祖父が船乗りという環境で育ったため、幼い頃から自分も船乗りになって世界中を旅したいと思っていました。高校は親の薦めで工業高校に行きましたが、それでも船に乗りたいという夢をあきらめきれず、たまたま同じ高校から進学した先輩がいた国立清水海上技術短期大学校に進学しました。船乗りは「航海士」と「機関士」の二つの種類がありますが、この学校ではほぼ全員が両方の資格を取得するため、毎年多くの海運会社から求人が来ます。私は地元の大手海運会社を選びました。面接では「私は工業高校出身ですが、自分で大きな船を動かしたいので、航海士として頑張ります!」と宣言しました。 現在の私の仕事は、瀬戸内海を中心に海上輸送を行う貨物船の二等航海士です。船上の勤務は昼の12時から16時までと深夜0時から朝4時までの3交代で、私は主に船橋で操船を行います。シケの海域を通過する時は、海面のうねりを見て横波を避けるように操舵を行ったり、瀬戸内海で他船とすれ違う時には無線で連絡をとって衝突を防いだり、狭い海域を通過する時は先輩の後ろで操舵を勉強したりと、船上では常に緊張しながら仕事に取り組んでいます。でも、ライトアップされた瀬戸大橋を真下から見上げたり、全国の港で観光が楽しめたりするのは、この仕事の大きな魅力です。8Messages幡野 秀樹さん2017年卒(甲板員)鈴木 佑祈さん2014年卒(一等航海士)田代 かのんさん2015年卒(三等航海士)猪田 隆志さん2000年卒(船長)卒業生から

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