文学部(改)2020
38/60

手てとっ36 私の研究室では、前方後円墳の出現期に焦点をあてて古墳の研究を主に進めてきました。しかし現在は沖縄県西表島の初期農耕集落と、北海道旭川にあるアイヌ文化期のチャシ跡遺跡の調査も古墳の調査と並行して進めているところです。 古代西アジア(中東)に起源した農耕牧畜文化の解明に取り組んでいます。西アジアで生まれた農耕牧畜文化は、ムギ・マメの栽培とヤギ・ヒツジ・ウシ・ブタの飼育から成り立っています。またこの文化からは、パンや各種乳製品、ビール・ワインといったアルコール飲料などの豊かな食文化も生まれました。今の私たちの暮らしを見まわすと、当たり前となっている食べ物の中に、西アジアの農耕牧畜文化で育まれたものがたくさんあることに気づきます。パンとチーズは西アジアでいつごろ生まれたのか、こうした問いを明らかにするカギは、西アジアの古代遺跡に埋まっているのです。西アジアやコーカサス地方で、古代の農耕牧畜文化の実態を明らかにするために、発掘調査を行っています。 日本列島上の縄文時代以来の人々がどんな言葉を話していたのかを考古学的に考える研究に取り組んでいます。関連するすべての学問を総動員し、ありとあらゆるデータを使って考える「総合考古学」です。日本列島上の東側には、後にアイヌ語となった言葉を話す人々が住んでいました。遮光器土偶をともなうことで有名な亀ヶ岡式土器を使う人々は、おそらくその系統の言葉を話し 縄文時代の土器や石器、人々が暮らしていた遺跡や住居のことなどにいろいろと想いを巡らせていますが、とりわけ縄文土器が好きです。理由は、土器は器であるだけではなく、人々の間を取り結ぶはたらきを持つツールだと思っているからです。ちょっと難しく言うと、「土器にはコミュニケーションを媒介する機能があって、文様・装飾・造形には地域間のネットワークの結び方とその仕組みが表われているのだ」と表現することができます。 写真は、そんな縄文土器のなかでもコミュニケーションを媒介する機能に特化した、「注の部分口土器」と呼ばれる土器の注ぎ口と把北條 芳隆 教授 前方後円墳の出現場所が本州の中心にある大和だとすると、西表島は日本列島の南端、旭川は北端になります。これら3地域で展開した過去を掘り下げながら、「日本史」や「日本文化」を捉え直そうと考えています。写真は長野県伊那谷での古墳調査時のものです。を集めたものです。ふふふ、ちょっとマニアックですね。でも、遠い過去の人々が遺したこれらの土器が、私と彼らの間を取り結んでいることは確かですよ。松本 建速 教授ていました。同時代の日本列島西側の人々とは言葉が違っていたのでしょう。現在の日本語となる大和言葉は、いつから話されるようになったのでしょう。 土を掘り過去への旅をするためのガイドブックは、現在の世界です。北海道のアイヌ語と日本語の地名の残り方の研究も始めました。考古学は、歴史学というだけでなく、時間も空間も超えた人類学です。秋田 かな子 准教授宮原 俊一 講師 ある人は回転台と呼び、またある人はロクロと呼んでいるものを回しています。足で下の円盤を回し、これに連結する上の円盤に回転を与えているのです。上の円盤には粘土が置かれ、回転する力を利用しながら土器を作ろうとしているのです。このように、“かつて使われていた道具”をいろいろ復元し、これを実際に使ってみることで、道具の動きや扱い方を頭で考え、身体で試しているのです。 普段は縄文時代の研究をしていますが、その方法の一つとして、技術史的な側面から過去の生活や文化を見つめなおす作業を行っています。ただ考えるだけでなく、身体を動かすことによって生まれてくる多くの発見や謎もあるのです。有村 誠 准教授ゼミでは日本考古学を中心に、いろいろな研究が行われています。考古学専攻ではフィールドワーク(野外実習)による発掘調査とともに重要視されている卒業論文の作成に向けて、ゼミに所属して自分の研究テーマを掘り下げていきます。古墳に学ぶパンとチーズは いつ生まれたのか時空を超えて人間を知る土器を読む回す!ゼミ紹介

元のページ  ../index.html#38

このブックを見る