総合案内 2022
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理理理理理理理理監監事事事事事事事事事事17カーとして、今も多くの人に愛されている。役員の紹介理事長理事・学長専務理事(2021年4月1日現在)中部 謙一郎小宮 一三谷村 浩二齋藤 貴尾﨑 亮典保坂 精一中込 寛石田 裕昭鈴木 隆久保田 昌彦久代 敏男永井 俊行川村 融私財を投じて高等専門学校を設立(日経新聞「私の履歴書」より抜粋) 謙吉が学校経営に乗り出したのは1962年。当時、国内には理系の専門教育機関が少なく、高等専門学校(5年制)はほぼ全て国立だった。 そこで謙吉は自ら理系人材の育成に乗り出そうと考えた。実はその10年ほど前から、中部家は「幾徳会」(現公益財団法人中部奨学会)と称して育英資金を若者に貸しており、延べ利用人数が4,000人を超えるまでになっていた。その後、貸し付けた相手から育英資金が返済されるようになり、中部家が最初に寄付をした基本金も加えると、原資は1億数千万円に上った。これに大洋漁業グループからの寄付金をいくらかプラスすれば、学校を維持できる。 そこで謙吉は、学校創設に着手することにした。用意したのは、神奈川県の厚木にある大洋漁業保有の7万坪あまりの土地だ。その半分の3万5,000坪に、謙吉は5年制の高等専門学校を設立した。総工費10億円のうち、大洋漁業が6割、グループ各社が2割、そして残り2割を中部家が負担。授業料は国公立の学校より、少し高いぐらいに設定し、寄付金は一切要求しない。あくまでも最優先するのは、経済的に学生が学びやすい環境をつくること。今に連なる学生本位のこの方針を、謙吉は次のように振り返っている。 「国も予算の関係で理系の学校をなかなか作れない。小さな規模ではあるが、費用もかからず、空気のよいところで心おきなく勉強できる学校を作り、社会の恩に報いたい」。学園名の幾徳の意味 こうして神奈川県初の工業の高等専門学校「幾徳工業高等専門学校」が1963年に開学。国公立大学と変わらない学費で工業系科目が学べると評判を呼び、優秀な生徒が集まるようになった。 謙吉の父の幾次郎の徳を偲ぶことから「幾徳」を学園名、校名とした。 その後、1975年に幾徳工業大学を開学し、現在の神奈川工科大学へと続いている。神奈川工科大学の前身、幾徳工業高等専門学校は1963年、大洋漁業株式会社(現・マルハニチロ株式会社)の経営者・中部謙吉により、優れた人材を産業界へ送り出すための教育機関として創立されました。建学の精神には創立者の熱い想いが込められています。

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